シャーレの蓋はなぜ曇るのか

シャーレの蓋が曇って観察に差し支えたり、ひどいときには水滴が菌叢の上に落ちたりして問題が起きることがある。これはなぜか。結論から言えば温度管理が悪いからだ。

シャーレの蓋が曇るメカニズム

温度が下がれば結露する

シャーレの蓋が曇るのは、冷えた飲み物のグラスが曇るのと同じ。さらに一般に、冷たい物の表面に結露するのと同じ。

飽和水蒸気圧または飽和水蒸気量という概念がどうしても必要になる。これは要するに「空気中の水蒸気の定員」であり、その「定員」は温度によって変わる。温度が高い方が「定員」が多くなるので、同じだけの水蒸気があっても空いている=湿度が低い。空気中に同じだけの水蒸気が含まれていても、温度が下がれば「定員」が少なくなり、はみ出した分が結露して液体の水になってしまう。

温度のみによって飽和水蒸気量は一意に定まる。別記事に気温から飽和水蒸気圧を導く方法を書いた。

温度が高くて水蒸気の「定員」こと飽和水蒸気圧が高くてたくさんの水蒸気を含んでいる空気が冷たい物体に触れると、局所的に冷やされる。冷やされて温度が下がると、「定員」こと飽和水蒸気量が下がる。そのため、限界を超えた部分は蒸気ではいられなくなる。空中で水分子同士がくっつき合って霧状になることもあるにはあるが、冷たい物体の表面付近では通常は物体表面への結露という形で水蒸気が凝縮して水になる。

この現象を利用して土壌水分を測定するのがサイクロメーターであり、別記事にサイクロメーターで呻吟したことを書いた。ちなみに、当たり前だがサイクロメーターは自転車とは関係ない。自転車の速度距離計は通常サイクルコンピューター、サイコンと呼ぶ。サイクロメーターはPsychrometerであり、"psychro"はギリシャ語"ψυχρός"由来で「冷たい」という意味である。日本語では「露点ミラー式土壌水分計」という、と思う。だってみんな「サイクロメーター」って呼んで日本語になんかしないんだもん。

シャーレの蓋に結露するのは温度管理が悪いためだ。だがまず「温度管理が悪い」とはどういうことかをはっきりさせるべきだろう。これは要するに「温度が変動する」ということである。25℃なら25℃で安定せずに、±2℃といった範囲でふらふらしてしまう。オンオフ制御の安価な(古い)インキュベーターや、通常のパッケージエアコンを使う簡易培養室(九州支所で使っていた)などでは起こりがち。家庭用冷蔵庫でも、一度温度ロガーを入れてみるとよく分かるが、温度の変動はけっこう激しい。こういう環境ではシャーレの蓋に結露が生じやすい。お金をかけて作ったランニングコストとエネルギー消費の大きい培養室では空調は冷水と温水をぶつけて上下1度とかの範囲に精密に温度をコントロールしており、そういう施設ではあまり問題にならない。それでもドア付近では温度変化が起こりがちだし、照明下で培養する場合などその熱が影響してしまったりすることもある。

そういう大がかりで燃費の悪い設備はなく普通の空調が入った簡易培養室で温度変動を避けたいのであれば、発泡スチロールなどの保冷ボックス(クール便用とかトロ箱とか)を使うとよい。が、コンタミの元になるおそれがあるので要注意。カビならまだしもダニが湧くと地獄。あとかさばってじゃま。

なぜ温度が変動すると結露するのかといえば、シャーレの中の空気には常に培地(が入っていれば)と平衡する量の水蒸気が含まれているから。通常の培地はそれほど高濃度の溶質は含まないので、モル蒸気圧降下の影響は小さい。ここは高校化学だから説明は端折る(出来ないわけではないから)。だいたい飽和水蒸気圧に相当する水蒸気が含まれていることになる。その温度での飽和水蒸気圧。

温度が1℃変わっても飽和水蒸気圧は変わる。外の気温が下がると、シャーレの蓋はダイレクトにその影響を受けて温度が下がり、接する空気の飽和水蒸気圧が下がって結露を起こす。水蒸気は結露するときに凝縮潜熱を放出するが、これはシャーレの蓋から速やかに外に逃げていく。温度が下がった空気は密度が上がって重くなり対流で下に移動して、暖かく飽和した空気と入れ替わる。液体になった水は表面張力で微細な水滴になり、シャーレの蓋が曇る。

では、外の温度が上がったら?シャーレの蓋の曇りは取れてもよいのではないか?しかし現実には温度変化の大きいインキュベーターではシャーレの蓋は曇る。曇りっぱなし。下手をすると水滴は大きくなる一方で勝手に滴ったりする。どうして結露の逆過程が起こりにくいのかは正直よく分からないが、結露水は表面張力で半球型の水滴となって体積あたりの蒸発面積が最小になることが関係しているのではないか、あるいは蓋付近の空気の温度が上がると密度が下がって軽くなり蓋付近に留まるため水蒸気が対流で下に運ばれにくいからではないか、水蒸気は分子量18で空気の平均分子量28.8より軽いため水蒸気を含む空気はほんのわずかだけ軽くなるからではないか、などとと思うが詳しいことは知らない。おいおい。でも知らないものを知ったふりするよりいいだろう。多分曇る過程を含めて多サイクルの動的過程でありそんなに簡単ではないのだと思う。

(なんだよ知らねえのかよ)(うるさい曇る方は間違いないんだい)

シャーレは開けられないがどうしても曇りを取りたいというとき、叩いて微少な水滴をくっつき合わせて集めて落としたりすることもある。曇りが薄いとこの手は通じないので、掌で温めるという手を使うこともある。これが有効なこともあるが、すぐにまた曇ることもある。理屈の上では寒天の側を少し冷やしておくと水蒸気を吸収してくれるはずだがそこまでやったことはない。その先も観察するために開けられないのなら、温めたり冷やしたりあまりしたくないし。

分注したてのシャーレが結露するのをどう防ぐか

いちおう知っているのはクリーンベンチでシャーレに培地を分注したときの曇りを軽減する方法。ずいぶん昔、学生時代に当時すでに古典王道だった教科書で知った。お書きになったのはK先生かT先生か。分注したシャーレは積み重ねていき、一番上にお湯を入れたシャーレを置く。これで上から下への温度勾配ができてシャーレの蓋は曇らない。ガラスシャーレを使っていた時代のノウハウ。だがむしろその時代は分注してからシャーレごとオートクレーブにかける方が普通だったと思う。

では今はどうやるかというと、これが正しいかどうかは知らないが、プラスチックシャーレに分注して蓋を2/3くらい開けてずらっと並べる。クリーンベンチ一面に並べ終わる頃には最初に分注したのは適当に冷めているので、最初に入れたのから順に蓋を閉めて積み重ねていく。ただしこれは培地の量が10mlくらいでないと、十分冷めないのでうまくいかない。積み重ねたものには温度勾配ができているが、一番上のは上面が冷えるためどうしても曇りがちなので蓋をずらしておく。もちろんお湯入りガラスシャーレを載せてもよい。シャーレの厚みにもよるが、10枚から15枚が限界だろう。最初に分注した分を一列積み重ねたら、残りを奥に押しやって次を分注する。クリーンベンチが広くて100枚とかいっぺんに分注できるならそんなことは考えなくてよい。

なお、テーハー式分注器は作業を長時間止めるとバルブ内で培地が固まって面倒なことになる。リカバリーは出来なくもないが、バルブを寒天が溶けるまで加熱すると突沸したり焦げたりパッキンをだめにしたりするリスクがあるし、分解すると無菌を保つのが難しい。蓋閉め・並べ替えはあまりのんびりやらないようにするか、途中で分注器を暖機運転する。シャーレではなく分注元のフラスコに注ぐだけ。滅菌済みの培地を入れたフラスコは、ある程度時間がかかる見込みなら、分注作業中はクリーンベンチに持ち込んだホットプレートに載せて保温しておくのがおすすめ。ホットプレートに加えてお湯を使ってもいいのだろうが、コンタミが怖いので(お湯のバットまで滅菌するのは面倒くさいので)個人的にはやらない。

シャーレの蓋が多少曇っていても、その後に菌を植えるときにしばらく開けておけば曇りは取れる。寒天培地の表面の水の量も分離などには結構重要だったりする。こればかりは試行錯誤するしかない。


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