「共生」とは

これ書いたの多分1998年、その後サーバーを引っ越した2007年くらいに手を入れてそのままなんですよね。なので2021年にちょっとだけ追加。


共生という概念

複数種の生物が一緒に生活している状態を、「共生」と呼びます。

これは恐らく 1877年 Frank によって初めて提唱された概念で、非常に幅広いものです。1879年の De Bary の定義も有名です(1887年の文献の方が有名かも知れません)。これらにおいては、共生は必ずしも「お互いに利益を与えあっている」関係だけを指すものではありません。

寄生も広い意味では共生のうちです。「利益を与えあう」関係は「相利共生」と呼びます。

「共生」には、「場所が一緒」という以上の意味はありません。その中で片方が一方的に他方を利用し、利用される側は害を被る関係を「寄生」と呼びますが、「一方的に利用している」かどうか、必ずしも明瞭ではない場合もあります。また、お互いに利益を与えあっているとされる「相利共生」でも、本当に利益を得ているのか評価しにくいことはよくあります。ですから、「共生」の全てがいくつかのパターンにきれいに分けられるというものではありません。

共生といってもいろいろあります。有名な「クマノミとイソギンチャク」(熊本の天草でグラスボートから見ましたがビジュアル的にきれいなものですね)のような緩やかな関係もあれば、複数種が集まってあたかも一つの生物のような形をしているものもあります。このような例は意外にたくさんあります:

地衣類
菌糸組織の中に藻類が埋もれた状態で光合成をして菌を養っています
サンゴやシャコガイ
動物の体内に藻類(褐虫藻)が埋もれて光合成をして動物を養っています
アブラムシ
特殊な細胞内に細菌を飼って代謝補助をさせることで、栄養バランスの悪い植物の汁だけで生活しています
根粒
植物の根に細菌が入り込んで窒素固定を行っています
菌根
植物の根に真菌が入り込んで効率のよい吸収装置となっています

注釈
ここで一つ、念のためにお断りしておきます。根粒と菌根とは別物です。根粒は植物と細菌との共生体です。もちろん、菌類は細菌とも植物とも違う、というのはいいですよね。

文献

Frank A. (1877) Ueber die biologischen verhaeltnisse des thallus einiger Krustenflechten. Beitraege zur Biologie der Pflanzen, 2, pp. 123-200

最近(2021)まで知らなかったのですが、この本はつくばの農水の図書館に所蔵されていました。

De Bary A. (1879) Die Erscheinung der Symbiose". Privately printed in Strasburg.

De Bary A. (1887) Comparative morphology and biology of the fungi, mycetozoa and bacteria [English translation of 1884 edition]. Clarendon Press, Oxford,UK.

De Baryの1879年のものは1878年の講演をまとめたもので、有り難いことに英語への全訳が2016年に出版されています。

Oulhen N, Schulz BJ & Carrier TJ. (2016) English translation of Heinrich Anton de Bary's 1878 speech, 'Die Erscheinung der Symbiose' ('De la symbiose'). Symbiosis. 69: 131–139. (DOI 10.1007/s13199-016-0409-8)

後年のレビューも挙げておきます。

Lewis, D. H. (1973) Concepts in fungal nutrition and the origin of biotrophy. Biol. Rev., 48:261-278. (DOI 10.1111/j.1469-185X.1973.tb00982.x)

この論文ではDe Bary の1887年の本について書かれており、De Bary が最初から共生を寄生と相利共生を共に含む上位概念として扱っていることが示されています。

Frankの仕事について触れているのはこちら。

JM Trappe (2005) A.B. Frank and mycorrhizae: the challenge to evolutionary and ecologic theory. Mycorrhiza. 15: 277–281. (DOI 10.1007/s00572-004-0330-5)


共生と寄生

ちょっと極端な表現ですが、例えばヒトは、いわゆる寄生虫や病原体等の寄生者とも共生していると言うことができます。それらがなす害が大きすぎてヒトが死んでしまったり、あるいは病気が治って病原体が一掃されてしまったりするのは、その共生関係が不安定である結果です。不安定とはいえ共生は共生です(ふつうそうは言いませんが)。

ヒトと腸内細菌とが共生しているのは明らかだと思いますが、腸内細菌の中にも「よい子悪い子普通の子」がいます。ビタミンなど有益なものを作ってくれるものもいれば、特に何のいいこともしない代わりにただいるだけで悪いものが増える場所をふさいでいてくれるものもいます。細菌には自分の都合で酸を作って競争相手の細菌を抑えるものもいますが、抑えられる細菌の中にヒトにとって都合の悪いものがいれば、酸を作る細菌は人にとって有益な存在になります。中には普段はおとなしくしていても日和見で悪さをするものがいますが、それはそのときだけ病原体として振る舞っているわけです。病原体が潜在感染しているとも言えますが、病原体に感染していることと共生していることに矛盾はありません。

寄生者が宿主と安定した共生関係(ふつうそうは言いませんが)を築くのは、通常長い時間をかけてなれ合いの果てに妥協点を見いだした「本来の宿主」との間でです。出会ってからの歴史が短いもの、例えばエボラウイルスなどは、まだ「手加減を知らない」ため致命的になることがあります。本来の宿主以外の生物に入り込んだ寄生虫も同様ですし、農林業で問題になる病害には外国から持ち込まれたものがたくさんあります。例えばマツ材線虫病などは(本当は三者共生系ですから複雑な話ですが)マツとマツノザイセンチュウとの関係を見ればその例と言えます。寄生者は宿主を殺せば自分も死んでしまうのですから、生存のためにはなれ合う方が有益であり、多くのものは時間とともにこの方向へ進化したと考えられています。

もう少し細かい話をすると、植物病害には真の意味で「寄生」とは言い難いものが非常にたくさんあります。何となれば、寄生は共生の一種であり、従って生物間の関係であるにも拘わらず、植物病原菌には感染部位で宿主組織を殺して栄養にしていく「殺生」(「せっしょう」ではなく「さっせい」と読みます)を行うものが多いからです。植物病原菌で真の寄生者であるものは、サビ病、ウドンコ病、黒穂病など比較的限られたグループです。しかし生態学的にもう少しマクロなレベルで見るなら、殺生を行う菌類をも寄生者と呼んでもいいでしょう。

この他にも「寄生者」とされるものには気を付けなければいけない例外があります。昆虫寄生の寄生バチ、寄生バエの類です。これらは他の昆虫に卵を産み付け、幼虫はそれに「寄生」して成長します。しかし、これには共生とはいいがたいものがあります。なぜなら、これらは宿主を「ゆっくりと食べて」おり、最終的には食べ尽くして殺してしまうからです。これは捕食のプロセスをゆっくりと内側から行っているに過ぎず、その他の寄生とはかなり異なります。そのためこれらは「捕食寄生者」と呼ばれて区別されています。

菌根の場合、根の組織内に菌糸が入り込んで同所的に生活しているので、明らかに共生と呼ぶことができます。そして多くは相利共生だと思われています。しかし、それぞれが払う支出と得る利益とのバランスシートはそう簡単には作成できません。時期によってバランスが変わるものもありますし、中には一方的に片方が利益を得て他方は損をするばかり、即ち寄生であるという関係(モノトロポイド菌根ラン菌根の多くで明らか)も存在します。菌根だからといって相利共生だとは限らないのです。

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ところで、しょうもない話ですが、「なんとかとマツタケを共生させて新しいきのこを作りました」とか言っておかしなものを売りつける商売が数年おきに発生しています。「イカサマツタケ」という秀逸なネーミングを考えられた方もいます。マツタケと他のきのこを混ぜて培養したら、あいのこになるとでも?だったら犬を飼っている人は犬人間になっちゃいますよね(極論)。まあ微生物のことだし子実体に菌糸が混ざるキメラになることが絶対にないかと言われれば、「常識では考えられない」と答えます。常識に反したことがあるというなら、それはそう言った人が証明すべきことです。イカサマツタケで言う「共生」とやらがここで論じているようなものでないのは明らかでしょう。