菌類と細菌との違い


『菌』という言葉で「バクテリア」「細菌」をイメージする人は少なくない、というより普通だと思います。『菌』という言葉でそういうものを指さないのはむしろ菌類の研究者くらいかも知れません。たとえば「もやしもん」でも全部込みで扱われていますが、普通そんなものでしょう。しかし『菌』というのはもともと細菌とは全く違った生き物であるかびやきのこを指す言葉です。『菌類』といえば生物学に心得のある人ならかびやきのこをイメージしてくれるでしょう。してちょうだいお願いだから。何だか軒を貸して母屋を取られたようですね。

また昔は『菌類』も『細菌』も『植物』に含められていましたが、これら3つは互いに全く別の生き物です。ついでにいうとかつて『植物』とまとめられていたものは最近全然まとまっていないことが明らかになって、すっかりバラバラになりました。といっても別に木や草がどうにかなったわけではなく、下等な植物と思われていた「藻類」の正体が分かってきたということです。でもこれはここでの話とは直接の関係がないのでこのくらいで。

菌類と細菌との違いに言及する前に、今風の生物の大分類についてごく簡単に紹介します。

かつて近代分類学の開祖リンネは、生物を『動物界』と『植物界』の2界に分けました。18世紀の話です。当時はこれと並んで鉱物も一つの界として扱われたりもしました。そしてこの生物2界説は20世紀半ば過ぎまでは主流でした。しかし今やそれはすっかり過去のものです。「敢えて言おう、二界説は分類学における天動説であると!」
# もちろんリンネもプトレマイオスも自然科学史上の偉大な巨人であることは疑いの余地もありません。

20世紀後半、「界」"kingdom" の再編は R. H. Whittaker (1969) や L. Marguris (1974) の提唱した5界説に始まって、そのうち言う人ごとに数が違うほどいろいろな分け方をされるようになりました。生物の系統に関する理解が進むにつれ解体と再編が繰り返され、2005年の Adl らの有名な論文でついに伝統的な「界」はうち捨てられたといってよいでしょう(と思いますが、別な概念をまとって復活するかもしれません)。

「界」の枠組みが揺らぎ始めた頃、より根源的なところで生物が大きく分けられることが分かってきました。「原核生物」「真核生物」という分け方です。これらのグループはそれぞれ「ドメイン」"domain" という言葉で括ります。植物も動物も真核生物ドメインの中に含まれる一方、細菌は原核生物ドメインです。

この分け方を持ち出すには、 L. Marguris の「内部共生説」に触れる必要があります。これは真核生物の起源についての考え方で、今ではその原理が広く受け入れられている、というよりむしろ Marguris が考えたよりはるかに普遍的な現象であると考えられているものです。むちゃくちゃ簡単に言うと「真核生物は、ある種の原核生物に別の原核生物が侵入したり食われたりしたものの、膠着状態のままなれ合って、その関係が固定してできたものである」というものです。要するに真核生物は合体生物なのです。

このようにしてできたと考えられている真核生物は、細胞の基本的構造が原核生物とは全く異なります。真核細胞にはミトコンドリアや葉緑体のような、侵入した原核生物の末裔と考えられる内部に DNA を持った細胞内小器官があり、真核細胞自身の DNA は核に収められています。そして、菌類は真核生物です。

やっと話が元に戻りましたが、菌類と細菌との違いは、植物と動物との違いなどより遙かに大きなものです。そしてごくごく大雑把というか問題があることを承知でイメージしやすいように言えば、植物と菌類との違いは、植物と動物との違いに匹敵するほどのものなのです。

さらにさらに、最近は「界」と「ドメイン」との間にもランクが設けられています。最近はランクに大仰な名前をつけるのは流行らないらしく、っていうか進化論と系統学の立場からはそうなるのが当然だと思いますが、これには「スーパーグループ」という力の抜けた名前が付いています。Adlらの論文では6つありますが、日本の研究者もそれぞれの名前を訳す気がないようで、そのまんまカタカナで書いています。例えば菌類と動物はどちらも「オピストコンタ」スーパーグループに属し、いわゆる植物は「アーケプラスチダ」スーパーグループに属すそうです。

一応原核生物ドメインのことについてもう少しだけ。原核生物の中にも真正細菌と古細菌という大きく性質の異なるグループがあり、しかも古細菌にはむしろ真核生物に近い特徴も見つかっています。そのためこれは分けた方がいいと言うことになっているようです。

このあたりはどんどん新しいことが分かってきては教科書が書き換わっている領域なので、この記述もすぐに古くなってしまうかもしれません。例えば最近では「アーケプラスチダ」が廃れてきて植物は「ビコンタ」に入れるとか。これもすぐに「最近っていつだよ」みたいな話になるでしょう。

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