胞子懸濁液を作ったら、まずはその中に含まれる胞子の密度を測定しないと始まりません。いろいろな方法がありますが、私は古典的に目で見て数えています。使用するのは血球計算盤、ですが医療関係ではないので検定を受けたものである必要は全くなく、無検定のため血球計算盤を名乗れずカウンティングチェンバーと称するものを使います。私が使っているのは一番安いトーマ型のそれもブライトラインではないタイプですが、特に不自由は感じていません。あと当然顕微鏡とカウンター(今時シングルのメカニカルカウンターは100円ショップで売ってるんですね)。最近では後述するように多少は画像処理も使っています。カバーグラスはチェンバーの深さを精度よく維持するため、分厚くて剛性の高い専用品が必要になります。
しっかりした台の上にカウンティングチェンバーを置き、最初に試料を載せずにカバーグラスを置きます。正直に言うとカバーグラスの縦横はどちらが正しいのか未だに分かりません。最初に教わったときは丸型だったもので。後述のニュートンリングが見やすいのは写真のように横長に置く方ですが、測定室の体積つまり注入できるサンプル量が少なくなって注入操作がデリケートかつ測定可能時間が短くなります。いずれにせよ雑にやったり何分もおいたりしてはダメですが。
次に計数部の両脇のカバーグラスを保持する部分に、カバーグラスをすりあわせるようにしっかり押さえ付け、ニュートンリング(この場合縞模様ですが)が出ることを確認します。ニュートンリングとは密着した二つの光学表面の間に生じる虹色の干渉縞のこと。写真では右側のカバーグラス保持部に見えています。もしよく分からなかったら、このように暗い背景にして斜めから光を当てると見やすいでしょう。
カバーグラスを保持部に擦り付ける時に指紋がべったり付いてしまうといろいろやりにくいので、そうなってしまう人、例えば若い人は、指を軽く消毒用アルコールで拭いた方がいいかも知れません。私は白手袋での作業はレンズのメンテナンスの時くらいしかしません。好みの問題もありますが微妙な手作業は素手の方がやりやすいので。もちろん感染性などのリスクがあるサンプルなら相応の防護手段を講じて下さい。
カバーグラスを置いたとき、あんまりたくさんニュートンリング(というか縞模様)が見えてしまうと、チェンバーの深さが不均一ですからやり直しです。たくさんの縞模様になるのは、接する二つの光学表面の間にゴミが挟まったりして平行にならず傾いている証拠です。アルコールで湿したレンズペーパー(実際はキムワイプを使うこと多し)で双方を拭けば改善されるでしょう。理想的に密着すると数本以下の縞模様になります。このように血球計算盤はカバーグラスにかかる部分も光学表面なので、それなりにきれいにして、注意して取り扱う必要があります。
チェンバーができたらギルソンやエッペンドルフあたりの200μLくらいのマイクロピペットか、伝統的なガラス管のパスツールピペットにシリコンニップルを付けたもので横から試料を流し込みます。一般の顕微鏡観察と違って、スライドに滴下してカバーガラスをかけるのではありません。カウンティングチェンバー側に、カバーグラスの縁に触れないよう1mm弱かもっと近い距離をおいて試料をマウントし、液滴がカバーグラスに触れたところで毛細管現象で吸い込ませます。
マイクロピペットを使うなら、10μLくらいにするとちょうどよいでしょう。もちろん現物合わせが必要です。試料をマウントするときにピペットチップでカバーグラスをつつかないよう、また入れすぎて溝に大量にあふれたりしないように気をつけます。つついてしまうとチェンバーの測定面の平行性が崩れる恐れがあります。ほんのちょっとぐらいなら溢れてもいいですが、カバーグラス保持部に付いてしまったらアウト。全体のクリーニングからやり直しです。
あとはひたすら数えます。カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ。煩悩を払うには108回くらいがちょうどいいと思います。というのは冗談ですが、100-200個くらいが一番能率がいいので、そうなるように準備する必要があります。数える前から数合わせて用意しろって、そんな無茶な。でもやるしかないのです、困ったことに。そして出来るようになるのです、不思議なことに。
使用後のカウンティングチェンバーは、普通に中性洗剤などで洗って蒸溜水をかけて乾かしますが、計数面には絶対に傷を付けないよう、チェンバーやその他の光学表面には極力触らないようにします。連続して計数する場合は自然乾燥を待ってはいられないので、光学表面の水滴は光学機器用ゴム球ブロアー(OA用スプレーでももちろんOK)で吹き飛ばして、触ってよいところはキムワイプなどで水分を拭き取ります。と言いつつしっかり傷が付いているんですけどね、何年も使っている写真のチェンバーの測定部には。画像処理の邪魔になるし、いい加減買い換えよう。
カウントするにあたり、試料希釈後の胞子懸濁液の胞子密度は重要です。チェンバー中の胞子数が100個を切るようだと精度が心配ですが、500個を超えるとちょっとしんどいですね。1000個を超えるようなのは根性で数えるより薄め直します。原試料の濃度に依って、適当な密度になるよう試行錯誤して希釈率を決めます。マイクロピペットで原試料を50μL取って5mLにすれば100倍、そうやって作った100倍液から500μL取って5mLにすればさらに10倍で都合1000倍。マイクロピペットを大小2本使えば目盛りを変える必要もありません。実際には5mLにするのは電子天秤の上でやったり(重量法で5mL=5gとする)、重量法で簡単に目盛りを検定したコニカルチューブ(ファルコンチューブとか)でやったり。
ショウロの胞子懸濁液が100倍で薄かった経験はありませんが、万一そうならもっと濃いものを原試料から作ります。慣れてくると適切な密度は数えなくても色でだいたい分かるのですが、「うっすら色が分かるくらい」という感覚的な表現が参考になるかどうか。それにこれは有色胞子限定の話ですし。慣れるまで修行することをおすすめします。
別項に書いた私の作るショウロの胞子懸濁液はどうしても砂混じりになるので、デカンテーション、場合によってはガーゼやナイロンメッシュでろ過して砂などを除いています。砂やゴミが残っていると100μlとかのマイクロピペットが詰まるんですよね。胞子を数える邪魔にもなります。
チェンバーに流し込んだら数分待つと、胞子が沈んできて数えやすくなります。顕微鏡下でカウンター片手にカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチと数えたら、希釈率を勘案して原試料の胞子密度を算出します。トーマのチェンバーはグリッド部が1*1*0.1mmなので、容積0.1μlです。1ml当たりに直すなら1*104倍(10,000倍、一万倍)ですね。測定試料が原試料を1*103倍(1000倍、一千倍)希釈していたのなら、カウントした胞子数を107倍(10,000,000倍、一千万倍)することに。何回か数えて平均120個あるなら、原試料の胞子密度は1.2*102*107だから1.2*109個/ml、あるいは120千万個、つまり12億個/ml。
要するに、「1000倍(一千倍)希釈なら、原試料の胞子密度はカウントした数の1000万倍」ということになります。もちろん100倍(百倍)希釈なら、原試料の胞子密度はカウントの100万倍です。
この方法はきのこの胞子なら基本的に何にでも使えるはずです。ただし多細胞のでっかい分生子とかは難しいかも知れません。あとアーバスキュラーの人は双眼実体顕微鏡で数えてました。肉眼で分かるほどでっかいので、AM菌の胞子はカウンティングチェンバーにつかえるでしょう。え、胞子が撥水性で水に懸濁しにくい?tween20か何か界面活性剤(中性洗剤)入れなさいって。と自力で気がつくまでにちょっとかかったのは内緒。
この方法は、やっぱり疲れます。出身研究室がマツ枯れメインの部屋だったのでマツノザイセンチュウを数えるカウンターの音がしょっちゅうしていましたが、今思えば先生も先輩も後輩もすごいカウント職人だったんだなあ、と。もちろん根性無しの私にも見よう見まねで型くらいなら出来ますが、量をこなすのはとても出来る気がしません。画像処理かなんかで楽が出来ないかな、と考えたこともありました。で、結局今は画像を撮影して、PC上で手作業カウントしています。画像認識で数えるのは2020年時点ではまだ無理みたいでしたが、2021年になってだいぶ進展してきました。
PC上で画像を結合して、Fiji (ImageJ)上でマウスでカチカチカウントするという、進歩したのかしてないのか。疲労は少しだけ軽減したかも。うまく処理すれば自動カウントも可能になってきましたが、多少の割り切りは必要です。まあどうせ肉眼で見たって判断に迷うような像はポロポロありますし。あと写真という証拠が残るのはいいですね。