里山のこと、里山に関する統計のいくつか

マツ林の消長に関する情報を得るため、薪炭林に関連する統計資料を漁ってみました。薪炭林にはもちろんナラカシも多いのですが、アカマツ林の里山は関西など収奪的利用による退行遷移が進んでいた地域に広く見られ同様に利用されていたので、ある程度マツ林の利用状況を反映していると考えられます。

具体的には、農林水産省統計表(およびその前身)から、単位換算程度で得られるデータを拾い出しました。あまり昔のものは統計の対象が違っていたりするため、ここには含めていません。都道府県別のデータまでは、掲載はされていましたが集めませんでした。全部込みの合計データです。そのため、急激な変化が県によって時期を異にして起きていた場合、実際より緩やかな変化に見えるおそれがあります。

ここに挙げたデータやグラフを利用される場合、連絡は不要ですがこの文書群についてをご一読ください。私が気付いていない間違いが含まれている可能性もありますので、安全のためにはオリジナルデータに当たり直すのもいいと思います。

単位について

「石」「層積石」「束」といった単位を見たときはどうしようかと思いましたが、ちゃんと換算のための表がありました。具体的には以下のように換算しました。体積と質量がごっちゃになっているのは概ね密度が一定の木材を扱うからでしょうね。いわゆる観測データや測定データとは違い、基本は商売やってる人に出してもらったデータです。気にしないことにしましょう。それにしても大変な労力の膨大な蓄積ですよね。有り難や。

一般には1石は0.180390立方メートルですが、木材関係の石はこれとは異なり「10立方尺」です。1尺は10/33m(0.303030303m)なので、木材1石は0.27826立方メートルにあたります(数値は農林統計の単位表より)。昭和29-31年には立米と石の二重単位表記のデータとなっていました。
層積石
125kg。「層積(そうせき)」とは薪のようなバルクものの時に使われた表し方で、隙間があるのでソリッドの木材より3割減じたそうです。
10kg。薪の単位に使われました。
層積立米
概ね0.450t。上の数値から導けますが、これも二重単位表記のデータで確認した数値です。
3.75kg。ここに挙げる中ではマツタケの単位に使われました。

グラフ

サムネイルでも一応情報が読み取れるサイズにしてみました。リンク先は35KBくらいのPNGファイルですが、ピクセル数が多い(1900×1100ピクセル)ので必要に応じて縮小してご覧ください。WWWブラウザによっては自動で縮小してくれますが、生成された画像は必ずしもきれいとは限りません。原寸でスクロールしながらご覧になるか、お手元に取得されてそれなりの品質の画像処理ソフトで縮小してご覧になることをおすすめします。

図1.マツタケの生産量

マツタケの生産量は年次変動が激しいが、1950年から1970年にかけて大きく減少し、その後は増減を繰り返しながら全体に減少傾向にあるマツタケの生産量は気象に左右されるため年次変動が激しいが、1950年から1970年にかけて大きく減少し、その後は増減を繰り返しながら低水準にとどまっている。


図2.アカマツ及びクロマツの素材生産量

アカマツ及びクロマツの素材生産は1957年をピークに大きく落ち込み、現在はピーク時の1/20ほどであるアカマツ及びクロマツの素材生産は1957年をピークに大きく落ち込み、現在はピーク時の1/20ほどである。アカマツの材は強度が高く、日本家屋の建築においては屋根を支える梁として好んで用いられてきた。


図3.木炭の生産量

木炭の生産は1957年をピークに急速に落ち込み、10年後にほぼ1/5となり現在はピーク時の1/100ほどである木炭の生産は1957年をピークに急速に落ち込み、10年後にほぼ1/5となり現在はピーク時の1/100ほどである。なお、このグラフは木炭の種類は問わず全てを合わせたものである。そのためこれが間接的に示すのは薪炭林の燃料供給源としての利用度ないし重要性ということになり、必ずしもマツ林に限ったものではない。


図4.薪の生産量

薪の生産は戦時中極端に多いが、その後400万トン程度から減少して1970年頃までにごくわずかになり、1980年代以降ほぼ75000トンを維持している薪の生産は、民生用に石油を回せなかった戦時中には極端に多かったが、戦後落ち着いて400万トン程度となった。1950年頃に落ち込みがあるが全体に減少基調で、1960年頃に200万トンを切ると以降は単調減少し、1970年を過ぎる頃にはごくわずかになった。それでも皆無とはならず、1980年代以降ほぼ75000トンを維持している。木炭同様これもマツ林に限った統計ではない。


図5.マツ材線虫病による被害材積

マツ材線虫病による被害材積は戦後の被害終息後1960年代までは比較的低水準を維持するが、1970年代に激害となり、その後も被害が続くマツ材線虫病(俗に言う松くい虫)による被害材積は、戦後の被害終息後1960年代までは比較的低水準を維持するが、1970年代に激害となり、その後も被害が続く。



マツタケの生産量

マツタケが希少化したことについて、マツ材線虫病(マツ枯れ)の影響を第一に挙げる人が時々います。確かにこれだけ壊滅的な被害を受ければ影響がないはずはありません。しかし、本当にそのせいでしょうか?

図1を見ると、マツタケの生産量は1970年までに急激に減少してしまっています。しかし図5からはマツ枯れ被害はこの頃まではある程度抑えられていたことが読み取れます。もちろん被害が一定でも残されたマツ林が一定のペースで減少するわけですからマツタケは減産となる道理です。しかし1970年以降に大量のマツが枯れるということは、1970年にはまだこの先枯れることになるマツ林が相当量残っていたはずです。少なくともこの時点まではマツタケの減産分に見合う程度、たとえば「マツ林面積が1/10になった」といった枯れ方はしていなかったと推定できます。

従って、マツタケの生産量の激減はマツ枯れによってマツ林が失われたせいではないと考えられます。マツ枯れの被害が激化する以前に、すでにマツタケの生産は落ち込んでしまっていました。

もっとも、最近ではマツタケ生産林として管理されているアカマツ林でのマツ枯れ被害も問題になってきています。しかしこれはここで扱っているのとは別の問題です。ここでデータから読めるのは「昭和中期のマツタケの減産とマツ枯れによる枯損量は対応していない」ということです。

とはいえ実はまだこの結論には突っ込みどころが残っていることも示しておくべきでしょう。マツタケの生産減少もマツ枯れ被害拡大も、全国均一に進行したのではありません。県単位あるいはそれ以下の単位では、マツ枯れの影響でマツタケ産地が崩壊したところもあるかも知れません。これについてはさらに精査する必要があるでしょう。

とりあえず戦後の都道府県別マツタケ生産量を調べて数値データをまとめてみました(下記参照)。県別の生産量および全国の生産・輸入量だけグラフ化してあります。この先マツ枯れ被害や薪炭生産などについても機会を見て調べてみたいと思います。

さて、ではなぜマツタケの生産は減ったのかについてです。もちろんこれだけのデータからははっきりした理由分かりません。しかしグラフを見比べてみると、マツタケ以外の4つのうち、マツタケの生産量ともっともよく重なるのは木炭のグラフです。次いで、戦時中を別にすれば薪のグラフです。材木としての生産も減少していますが時期がだいぶずれており、これはむしろ木材の輸入自由化の影響かも知れません。マツタケの減産は森林バイオマス燃料の生産減少と軌を一にして生じたということは、これらの間には何らかの関係があるのかも知れません。でももしかしたらたまたまそうなっただけかも知れません。これだけのデータでは因果関係までは言えませんが、これらには共通の原因があるかもしれません。

なお、私自身はマツタケの研究には関わっていませんので、この件に関して質問されてもここに書いた以上のことはお答えできません。


ナラ枯れとの関係

完全におまけですが、ナラ枯れ(ブナ科樹木萎凋病)についても近年急増している理由の一端がここに示されているかも知れません。ナラ枯れで大被害を受けているミズナラは、今でこそ高級家具材ですが、かつては薪炭材としても利用されていました。1960年代に薪と木炭の生産が急激に落ち込んだのは上に述べたとおりですが、これはつまり薪炭林となっていたナラ類がその時期を境に利用されなくなったということです。スギ・ヒノキに植え替えられたものも多かったでしょうが、単に放置されたものもあったはずです。発芽(萌芽更新のことも多いですが)はさらに十数年前とすると、2007年現在ではそれらは60年生前後の大木になっています。これはカシノナガキクイムシ(ナラ枯れの媒介昆虫というか原因のひとつ、通称カシナガ)が好むサイズです。つまり、近年枯れつつあるミズナラの大木、ことに人里近くのものには、薪炭材として育成されながら燃料革命により放棄されたものが多数あるだろう、と考えることができます。もちろん大木の全部がそうというわけではないでしょうけれど。

実際、人里離れた山奥の登山道の近くに見事な巨木があったとしても、そのあたりをよく探すと炭焼き窯の遺跡があって実は薪炭林のなれの果てだったと知れる、なんていうことは珍しくも何ともありません。炭焼き窯どころか家の痕跡(手水鉢とか)まであって、こんなところにも人が住んでいたのかとびっくりすることも。ともあれ、何でもかんでも越境汚染物質や地球温暖化のせいにする風潮の中でナラ枯れまでそのせいにするのはちょっと待って下さいね、とだけは言っても怒られないでしょう。

山奥に昭和初期まで存在した集落の遺跡で、ぽつんと小さな鉄筋コンクリートの小屋のようなものが残されているのを見たことがあります。どうもこれ、学校跡の「奉安殿」だったようです。奉安殿とは御真影(天皇皇后両陛下のお写真)と教育勅語を納めた小建築のこと。えらい頑丈な造りでしたが、山奥の林業集落はお金持ちだった時代もありましたから、そのせいかもしれません。京都北山の廃村八丁です、って今あそこ京都市右京区なの?ぎょえ~!

なお、誤解を招かないよう書き加えますが、「薪炭林が伐られなくなったからナラ枯れが起きた」と言いたいわけではありません。自然はそんなに単純じゃありません。目立って枯れている大径木がなぜそんなにまとまって存在するか、なぜ今世紀初頭になって出現したかということの理由(少なくともその一部)が薪炭生産量の統計から読み取れる、という以上のことは私には言えません。なお、2007年の樹木医学会大会の公開シンポジウム「ブナ科樹木の萎凋枯死被害(ナラ枯れ)の研究と防除の最前線」では、京都府立大学の小林正秀先生がそうやって出現した大径木がナラ枯れの最大の誘因だとおっしゃっていたそうです。「そうです」ってことは私が直接聞いたわけではないのですが。「誘因」と「原因」とはちょっと違うように見えてぜんぜん違います。

ナラ枯れに関する詳しい情報は、森林総合研究所関西支所でまとめた資料がありますので、そちらをどうぞ:
ナラ枯れの被害をどう減らすか― 里山林を守るために―

要するに里山とは

だんだんおまけを通り越して蛇足になってきました。たとえなんかもだんだんアレゲになってきますし。

上の二つの例が暗示するのは、「里山は使ってナンボの生態系である」という可能性です。表現かなり控えめ。よそでも書きましたが「ヒトは里山生態系のキーストーンスピーシーズ」であり、人間が里山資源を利用しなくなって里山を放棄したために現在問題となっているような「里山崩壊」(いかにも大げさかつ人間本位であんまり好きな言葉じゃありませんが―動的平衡がシフトして人間にとっていやーんな感じになってしまうというだけのことですから)が生じている、と私は考えています。多分この分野ではごくありふれた考え方だと思います。もっともさらに昔はヒトは里山をぎりぎりまで酷使したり時には限界超えてはげ山にしてしまったり、あるいは火入れして草地にしたりしていたわけで、決して安定して調和していたわけではありません。トトロ的幻想とでもいいますか、人と自然が調和していた古き良き黄金時代などというものは、お話の中だけのものです。現実の目標にするようなものではなく、実態はどちらかといえば「もののけ」的なせめぎ合いの中でたまたまいい感じの時期があったというのがせいぜいです。

火入れの話に興味のある方は「森林科学」2009年2月号特集「火の文化と森林の生態」を是非どうぞ。ネットや書店で(たぶん)絶賛発売中です。

「人間の影響がなくなれば自然に戻るだけだからいいじゃないか」ですって?それは甘いと思います。里山の自然は人為の影響を受け続けて本来の自然遷移のコースから外れていて、何百年かして極相のようなものに至ったとしても、本来の自然とは違うかも知れません―それもまた自然ですが。それに、自然本来の姿では、山は崩れるもの、川はあふれ流路を変えるものです。そういった自然災害まで受け入れるわけにはいきますまい。そのような現象は人間にとっては災害ですが、攪乱依存性の生物群集にとっては生息場所ができることであり、生存に必須です。それを止めてしまえば、それらの生物には居場所がありません。何百年に一度の大災害は人間にも止められませんが、そういうレベルではなく毎年のように生じる小さな災害、人間による治山治水の対象になるような現象に依存する生きものもいます。人間による資源利用という継続的攪乱が起こる里山は、そのような生きものたちのレフュジア、避難場所となり得ます。「食えも売れもしない草だの虫だの滅んでも関係ない」とか言わないで下さいお願いだから。

地震による大規模な山地災害の話に興味のある方は「森林科学」2009年6月号特集「地震と山地災害」を是非どうぞ。ネットや書店で(たぶん)絶賛発売中です。いや別にこの文書は宣伝のために書いてるんじゃないんですが。

里山利用は継続的攪乱と書きましたが、毎年同じことをするべったり安定な利用だけでは十分ではありません。1年では芽生えが林にまではなりませんし、そもそも自然自体毎年同じではありません。木の実の豊凶やクマの行動など年によってまるで違うことがあります。里山利用も時々ごっそりばっさり攪乱してやるといった形で、数年から十数年程度の中期的サイクルで回す必要もあります。いろいろなステージの林分がパッチワーク状に分布するような状態にするのが生物多様性の面からは理想的だそうです。ええとどこで読んだんだっけな<おいおい。まあ蛇足ですし。

山の豊凶やクマの出没に興味のある方は「森林科学」2009年10月号特集「クマ出没の生物学」を是非どうぞ。ネットや書店で(たぶん)絶賛発売中です。うーむこうなるとどこからどう見ても宣伝ですね。まあ気にしないでください。

中期的サイクルで利用したとしても、100年単位とかで長期的に見れば本当に永続的に安定しているはずはありません。里山と田畑とともに代々の暮らしが続いている古民家も、扇状地に建っているなら何百年かのうちには土石流で消し飛ぶ運命かもしれません(砂防ダムがあれば少し話が違うかも)。里山利用はサイクルが回っているように見えて実は微妙にスパイラルで、長期的には有限と考える方が自然です。地形だって変わりますしね。でもそれはまあ「人はいずれ必ず死ぬ」というようなもので、有限だからといって無価値ではありません。このように「持続的利用」にも限度があると考えないと「墓所の設計者」(『風の谷のナウシカ』参照―映画じゃない方の)になってしまうでしょう。

「使ってナンボの生態系」というのは、里山は人間に対し昔は肥料燃料今は癒しなど恵みをもたらしてくれる上に生物多様性の上でも貴重な存在であり、その多様な生態系には人間の利用という働きかけが必須であり積極的に関わり利用することによってこそその機能は維持される、ということ(長!)を表そうとしたフレーズです。「使えば維持される、使わないと衰える」ってなんだか筋肉みたいですね。しっかり使えば鍛えられていい感じ、使いすぎれば壊れてしまう、とかなるとますます。そうだこれを「里山筋肉説」と呼びましょう。と、冗談はさておき、自然を守るには人の手が触れなければよいというものではないのです。本当に手を触れずに自然に返すことは、農林業はおろか治山治水も放棄することです。っていうか、人類撤退?そんなことが出来るはずがありません。ならば、自然を守るために自然を使い続けなければ。

なお言うまでもありませんが白神とか尾瀬とか大台とかは全然関係ありません。あれ里山じゃありませんし。ああいうのは奥山といいます。

数値データ

書きかけだぴょん

とりあえずグラフ化するのに使ったデータファイルを置いておきますが、これがなんと Lotus 1-2-3 形式だったりして。とりあえず OpenOffice.org 3.1 では「日本語、Shift-JIS」の設定で開けますが、単位の違いを色分けした情報が飛んでしまっています。というわけで「書きかけだぴょん」はまだ外せません。ていうか、将来的にも外せるのかなぁ。

人に見せるのを前提に整理したものではないのでかなり雑多な部分もあります。写し間違いが残っている可能性もあります。そんなものでよければ自由にお使い下さい。なお、2007年現在 Lotus 1-2-3 はソースネクストが\1,980で販売していますが、Windows Vista では動作しないそうです。というわけで Windows7 には XPモードをインストールすることになるでしょう。


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